2009年 第6回 起業家塾
日時 12月16日(水)
場所 NASICプラザ (青山オーバルビル15階)
講師 岩本哲夫氏 (株)アイル 代表取締役社長

 ロックバンドとアルバイトに明け暮れた学生時代を、岩本社長は会社経営でもっとも大切な「人を見る目」が育った貴重な期間と振り返ります。
 コンピュータのトップセールスには飽き足らず起業した(株)アイルは、いまやシステムソリューション、人材ソリューション、Webソリューションをトータルに手がけるわが国屈指の企業として注目を浴び、社長本人も経済紙、専門誌の取材、さらにテレビ出演や経済セミナーの講演者として多忙な日々を送っています。

「100社のうち、10年経って生き残るのはたった1社と言われる厳しい社会で、企業を維持し成長させるのはとても難しい。それを可能にするのは、相手と本音で接し、人を動かす強い人間力だ」と強調します。
人の上に立ちたいと思う人は多いけれど、権限や権力では人は動かない。人には感情があり、そこに踏み込まないと動かすことはできないというのです。
 つまり、どんな人とも本気で接する。社員でもお客様でもすべてフィフティーフィフティーの関係。お客様に対しては、いただくお金以上のものを返そうという誠意と実行力で報いることが大切で、決して「神様」と思う必要はない、ということなのです。
 さらに、「人は初めから頂点に立つことはできない」という言葉も印象的でした。下積みを経験してこそ、頂点に立ったとき部下への訴求力が発揮される。すなわち、相手を認め、フィフティーフィフティーの関係で向き合うことから、信頼や絆が生まれ、物事は良いほうへ進むという考えです。

 講演のなかで語られた「どの道を選ぶかよりも、選んだ道をどう生きるかを考えよ」。「大切なのは人と人の関係であり、そこさえうまくいけば、何をしても充実した人生になる。人はワクワクしている時のほうが力を出せるものだ」という岩本社長の言葉と、人の心にぐいぐいと入り込んでくるフランクな人柄に、創立以来、無借金経営を続ける同社の底力を見る思いがしました。


 

2009年 第5回 起業家塾レポート
日時 2009年11月25日(水)
場所 NASICプラザ(青山オーバルビル15階)
講師 倉橋 泰氏 (株)ぱど 代表取締役社長

「わが国屈指の地域密着型フリーペーパーを発行する企業のトップが、京大工学部卒の元エンジニア――」そう聞くだけでも、誰もがそこに至る経緯や背景を知りたくなるのではないでしょうか。
 今回の企業家塾は講師に株式会社ぱどの倉橋泰社長をお招きして、前職でのアメリカ駐在がきっかけで始めたフリーペーパービジネスを中心に、インターネットの普及により大きく様変わりしつつある広告業界の現状と今後について興味深いお話を伺いました。
 倉橋氏は1983年、在籍していた荏原製作所からアメリカ駐在の命を受け渡米します。現地では様々なカルチャーショックに遭遇しますが、そのひとつが多チャンネル化が進むTVのニュースチャンネルに押され、速報性に欠ける新聞が添付されているサービスクーポン目当てのメディアに甘んじている状況でした。一方、当時発行部数250万部を誇っていた無料宅配誌「Penny Saver」には、地域密着型フリーペーパーの大きな可能性を感じたと言います。

 帰国した1985年以降、プラザ合意の影響で円高に拍車がかかり、輸出に比重を置く多くの大手企業が多角経営に乗りだします。荏原製作所の新規事業部第1号社員に指名された倉橋氏はアメリカでの経験をもとに「情報産業」への参入を企画、フリーペーパー「ぱど」の発行を提案したのです。新規事業の立ち上げには予想以上の困難と時間を伴いましたが、1987年、荏原製作所のほか凸版印刷、第一勧銀、三和銀行、東芝の5社が出資する新規事業がスタートします。
 しかし翌年、新規事業のよき理解者だった社長が死去。荏原製作所は「選択と集中」をスローガンに、事業整理の方針を打ち出します。そして1992年、「ぱど」はMBO(マネージング・バイ・アウト)によって独立を果たし、倉橋氏が社長に就任したのです。その後、「ぱど」は地域密着型の宅配フリーペーパーとしての認知度を高め、2001年にはナスダック・ジャパン(現・ヘラクレス)に上場。DTP(デスクトップ・パブリッシング)の普及に伴う印刷コストの軽減も弾みとなって順調に部数を伸ばしていきます。そして2004年には、ついに1200万部を突破し、ギネスにも認定される世界一のフリーペーパーとなったのです。

 倉橋社長は、インターネットの普及によって広告の世界は劇的に変わりつつあり、従来の考え方は通用しなくなっていると指摘します。広告業界で生き残るためには国民のライフスタイルの変化に敏感に対応し、必要とされているサービスの提供、もしくはこれまでにないサービスを生み出していくことこそ重要だというのです。各メディアの盛衰を冷静に見ていくと、新しい可能性が見えてくる。たとえば、紙媒体であれば、新聞・雑誌が大きく落ち込む反面、チラシは伸びている。それならば、そこにいち早く手を打つ。また、同社がいま積極的に取り組んでいる業務のひとつが、汎用性が高くユーザーにとってより便利に利用できる統合型のポイントカードシステムです。すでにテストマーケティングに入っており、今後の発展が大いに期待できる業務分野なのだそうです。

 倉橋社長は、会社経営の基本を「世の中の役に立つこと」「儲けること」「楽しむこと」としたうえで、社会で生き抜くための条件として、情報収集の大切さを強調しました。「情報集めのコツは、関心を持ち問題意識を持って常にアンテナを張っていること。そして、毎日、情報を仕入れる時間を作ること」と締めくくりました。


 

2009年 第4回 起業家塾レポート
日時 2009年10月27日(火)
場所 NASICプラザ(青山オーバルビル15階)
講師 佐藤 俊和氏 ジョルダン(株)代表取締役社長

 携帯電話を持っている人なら誰でも、当たり前のように使っている「乗換案内」。これがあるおかげで、無駄のない移動経路や目的地までの所要時間が簡単にわかるようになり、人々の日常生活はより効率的なものに変わりました。
 第4回目の起業家塾講師は、この「乗換案内」を開発・運営しているジョルダン(株)の佐藤俊和社長にお願いしました。
「いまだに自分が何をやりたいのか、よくわからない」と言う発言の裏に、人まねではないもの作りを旨とし、世の中の役に立つ道具を作り続けたい、という強い信念があることが伝わってきました。
 佐藤社長が東大に在学していた当時は、学生運動が吹き荒れ、講義も予定通り行われない不安定な時期でした。コンピュータの理屈が面白く熱心に勉強する傍ら、予備校のアルバイトを続け、ドクターコースに進むことも考えたと言います。結局就職の道を選びますが、入った会社の業績悪化もあり、独立することを決心。ところが、周りにも退職を思考する仲間がいたことから会社設立に踏み切るのです。とはいっても、最初は会社というより、同じ看板を掲げた個人の集まり。給料は平等に分け、出退勤は自由というかなり適当な組織だったそうです。
 やがて業務が軌道に乗り始めると、企業らしい体裁を整える必要性から、年長であることを理由に佐藤社長が代表を引き受けることになります。「状況は人を作る」と同氏が語るように、ジョルダンはその後企業としての体制作りも進み、成長を続けます。創業当初から仕事の中核であった受託によるプログラム開発が順調に推移し、「楽しみながら儲かる時期」がしばらく続いたと言います。ところが10年ほどすると、どんなに優れた商品を送り出し業績が安定しても、自社の名前が表に出ないことへの一抹の寂しさを感じるようになり、ついに自社独自の商品を出すことになるのです。
 着目したのは、当時から誰もが面倒臭いと感じていた月末の交通費の精算でした。さっそく交通機関の路線や運賃に関するパッケージ商品を売り出しますが、最初は市場ニーズも乏しく売れなくて苦労したと言います。やがてJRの時刻表をもとに、多くに企業が時刻表ソフトを開発し市場に投入します。しかし、ここでジョルダンが世に送り出したのは、まだどこにもなかった全国、全路線を網羅した携帯電話向けコンテンツ。これこそ同社の看板ともなった大ヒット商品「乗換案内」だったのです。
 佐藤社長は、何かをやろうと思ったとき、巷にあふれる情報に惑わされず、動物的勘を大事にしていると語ります。「便利な道具がほしい」という気持ちが大切であり、それが、社長を駆り立てる原動力になっていると。
 さらに、「価値観なるものは、みんなが思っているほど永続的ではなく、特にコンピュータの世界はめまぐるしく変わっていく。グーグルはいまや間違いなく世界の覇者であるけれど、1995年にはマイクロソフトであり、その10年前はDEC(Digital Equipment Corporation)、その前はIBMだった。だから10年後にグーグルが元気である保証などどこにもない。コンピュータは10年で性能は10倍に、価格は10分の1になってきた分野だ。そう考えれば10年後には1万円ほどになるであろうコンピュータがどんな姿をしているかなど想像するしかない」と語り、「自分たちが主体性をもって進んでこそ、会社経営は楽しくなるし、道が開ける」と強調します。
 現在同社は、グーグルマップを超える地図や、全国約100万箇所のバス停(鉄道駅は約1万箇所)を網羅した誰も成し遂げていない商品の開発も進めているそうです。
 また、同社は企業理念を実現するためのもう一つの柱として、出版事業にも積極的に取り組んでいます。
講義後の親睦会でも、佐藤社長と参加者との間で熱心な会話が続き、大いに盛り上がりました。


 

2009年 第3回 起業家塾レポート
日時 2009年9月28日(水)
場所 NASICプラザ(青山オーバルビル15階)
講師 進藤 均氏 (株)ゼネラルパートナーズ代表取締役社長

「やりたいことをやろう!」今回講師にお招きした(株)ゼネラルパートナーズの進藤 均社長は、出席した学生たちにこう呼びかけました。
 ゼネラルパートナーズは、障害者の就職、転職を斡旋する会社です。現在の登録者数約15,000人、年間約1,000人の人材を約1,000社に送り込んでいます。業務内容は、通常の人材会社と同様、PCのインターネットを利用した就職・転職情報の発信、モバイルサイトでの就職斡旋、就職イベントでの企業と人材のマッチング業務などです。
 それでは、進藤社長は、なぜこの会社を作り、わずか6年で年商7億に迫る企業に成長させることができたのでしょうか。そこには、自分の強みを活かし、本当にやりたいことに情熱を傾ければ、理解し支えてくれる仲間ができ、絶対にその事業は成功するという強い信念がありました。

 家業を営む家庭に育った同氏は、こどもの頃から「自分も将来はなにか商売をすることになるのだろう」と漠然と思っていたそうです。大学の卒業を前に、改めて自分を見つめなおし、25歳での起業を決意して就職。大手の住宅販売会社で4年を過ごし目標としていたトップセールスの座も勝ち取ります。しかし、営業には長けても、社会全体のことがよくわかっていない自分に気づき、いろいろな会社を広く知ることのできる人材会社に転職しさらに3年が過ぎていきます。
「世の中の曲がったことに噛みつく性格」と自らを分析する同氏は、そのころ「起業するのであれば世の中の役に立つことをやりたい」と強く思うようになっていました。そんな折、テレビ番組で見たイギリスのパブで働く聴覚障害者と客とのフラットな関係に衝撃を受け、日本でもこういう関係を実現させたいとの思いを強くし、障害者に特化した就職・転職の斡旋を業務とする新しい分野の事業を始める決意をしたのです。よく調べてみると、日本でも障害者とのフラットな関係を望む人は多いものの、接しかたが分らないために障害者の社会進出が進まない現状があることもわかってきたと言います。

 そして2003年4月、ゼネラルパートナーズは設立されました。進藤社長30歳の年です。
同社は「障害者のよき認知を広めていく」という言葉を使命と謳い創設以来快進撃を続け、いまや障害者の就職・転職事業におけるリーディングカンパニーとなったのです。
 現在、わが国は少子高齢化による労働人口の低下に備え、女性や外国人の就労を奨励しています。これまでは福祉の一環として捉えられがちだった障害者の就労も、一般の労働力として定着するチャンスだと言います。
 一方、障害者の法定雇用率1.8%を満たす企業は未だ半数に達していないうえ、この数字を上限と考え、それ以上の雇用には消極的な企業も多く、障害者の就労環境改善の道のりは遠いのも事実です。
 しかし、進藤社長が想い描く10年後の同社の姿は、「社会的問題を解決する」という理念に基づくコングロマリット(複合企業体)と聞くと希望が湧いてきます。

 講演の最後に進藤社長は、「起業するなら、自分が一番やりたいことをやってください。そうすれば、きっと成功するし幸せになれると思います」と結びました。

 


2009年度 第2回 起業家塾レポート

日時 2009年8月5日(水)
場所 NASICプラザ(青山オーバルビル15階)
講師 鈴木清幸氏  (株)アドバンスト・メディア代表取締役会長


 人が自然に話す声が瞬時に正確な文字に変換されていく。この夢のような音声認識技術の開発と、これを使ったソリューションの提供でいま世界中の注目を集めているのが、株式会社アドバンスト・メディアです。自ら開発の先頭に立ち、現代社会においてすでに不可欠となりつつある音声認識技術を幅広い分野に普及させるべく精力的に活動しているのが、同社の創設者でもある鈴木清幸会長です。
 今回は、医療、議事録、ゲーム(エンターテインメント)、コールセンターなど、さまざまな分野に広く使われ始めている同社の音声認識技術について、それが生まれた背景と経緯、また、今後の展開などについて語っていただきました。

 講演の冒頭、鈴木会長は携帯電話を使って音声認識技術の素晴らしさの一端を披露しました。携帯電話に向かって語りかけた日本語のフレーズが、10秒もしないうちに英語に翻訳され、携帯電話から聞こえてきたのです。さらに、画面には英文のテキストも表示されています。話した言葉が瞬時に認識され、英語に翻訳されたのです。ちがうフレーズを話しかけても同様の結果が返ってきます。これには、参加者全員が驚きの声をあげました。
 音声認識は、かなり以前から研究されていた分野でしたが、どれも機械中心の技術ばかりで人間が機械に合わせるという実に窮屈なものでした。そのため、普及どころか、この分野での成功は極めて難しいとまで言われていたほどです。鈴木会長は、人間中心の音声認識技術(不特定話者の声を性格に認識することのできる技術)なら必ず市場に受け入れられるとの確信を胸に開発に取り組み、ついに同社の商標ともなっている音声認識ソフト「AmiVoice(R)」を世に送り出したのです。これによって、同氏は世界の優れた企業家に贈られる2006年アントレプレナー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれました。
 いまやAmiVoice(R)は、議会の議事録作成やネットへの情報公開の迅速化。また、医療の現場ではカルテや検査画像の読影分析レポート作成に威力を発揮しています。さらにモバイル分野においてはiPhoneに搭載された音声認識メールが、情報処理推進機構(IPA)のソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2008(SPOTY2008)を受賞しました。
 鈴木会長は、音声認識技術を使ったソリューション導入の根拠となる価値基準としてJ(Joyful=楽しい)U(Useful=役に立つ、便利)I(Indispensable=なくてはならない)という3つのキーワードを挙げました。それが楽しく、役に立つものであれば、やがてなくてはならないものになっていく。このプロセスが市場のニーズに繋がり、音声認識技術がビジネスとして成立するようになるということなのです。

 今後の展望については、「超音声認識の実現」すなわち人間同士の会話に限りなく近い機械とのコミュニケーション技術を創出し、社会に貢献することが目標と語りました。
「いつでもどこでも誰でもが、自然なコミュニケーションを通じて、機械から恩恵をこうむる時代を作りたい」。鈴木会長が「自らのビジョン」と強調するテーマは、確実に実現への道を辿っていることが実感できた今回の講演でした。講演後の懇親会でも、世界最高の技術を目の当たりにし、起業の醍醐味に触れた学生たちが鈴木会長を囲み、熱い会話が交わされました。


 

2009年度 第1回 起業家塾 レポート

日時:2009年7月10日(金)
場所:NASICプラザ(青山オーバルビル15階)
講師:子安裕樹 氏 株式会社ファクトリージャパン 代表取締役会長

  本年度、第1回目の起業家塾は、7月10日に株式会社ファクトリージャパンの子安裕樹会長を迎えて開催されました。
 ファクトリージャパンは、全国に約80店舗の整体サロン「カラダファクトリー」を展開し、30万人を超える会員を有する、いま話題の健康サービス企業です。創業9年で約1000人の従業員を抱える優良企業にまで成長させた子安氏の経営に対する情熱は、「人間好き」と自ら語る人とのかかわりの中から生まれたものでした。
 現在に至る伏線は、ラグビー推薦で大学へ進学するほどの猛者だった氏が21歳で遭遇した交通事故に遡ります。死者も出るほどの大きな玉突き衝突に巻き込まれ、重いムチ打ち症に苦しめられ、体の不調から、精神的にも大きなダメージを抱えていた時に氏を蘇らせてくれたカイロプラクティックが、後の起業人生に大きな影響を与えたのです。
 子安氏が最初に手掛けたのはレストラン経営でした。経営難に陥っていた地中海(イタリアン)レストランを買いとったものの、最初は経営ノウハウもよくわからないままのスタートだったと振り返ります。あるとき、お客様のビールの注文を従業員が「メニューにない」と断っているのを見て、「お客様の希望に応えるのが仕事の基本」と強く感じた子安氏は、裏のコンビニまでビールを買いに行き、出したのです。その後、ざるそば・天丼セットや鉄板焼き定食など、店のコンセプトにこだわらずお客様が喜ぶメニューをつぎつぎに提供し、姉妹店を出すほどの大繁盛となりました。
 しかし、若さゆえ稼いだお金を湯水のごとく使い豪遊していたある日のこと、知らない老人から声をかけられ、この日を機に生活が一変します。その老人は、子安氏に「そうやっていて楽しいか?君に本当の友達はいるか?」と囁きかけたのだそうです。反発しつつも、頭から離れないその言葉を一晩中考えた末、氏は企業の経営と真剣に取り組む覚悟を固めたのです。

 レストラン経営を一段落させ、次に手掛けたのはバリ雑貨のお店です。リビングルームのようなリラックスできる空間を備えたショップが受け、3店舗を展開するまでになりましたが、サービス業という得意分野を「健康」というフィールドで活かしたいと考えるようになり、これまでになかったスタイルの整体治療院をスタートするに至ったのです。
 そのスタイルとは、これまでの整体のイメージを覆す斬新なものでした。まず、女性が入りやすいこと。そのために、ショップをガラス張りの明るいイメージに仕上げました。施術師は患者との徹底した会話から、体の状態を充分把握し、どこに原因があり、どうすれば治るかを伝えるようにしたのです。「施術師と患者が二人三脚で治す」という考え方です。
 子安氏は、創業9年で80店舗という数を「少ない」と言います。それは、自身が考えるサービスをすべての店舗で100%実現させるためには時間がかかるからなのです。すなわち、施術だけを身に付けた人材では、同社が目ざすサービスはできないというわけです。
「どこの経営者も『最後は人だ』と口をそろえる」そう子安氏は強調します。創業者が描く理想を実現するためには、従業員全員が創業者と同じ思いを持ち、同じ目標に向かって同じテンションを持ち続けていなければならない。これが子安氏の経営哲学なのです。
 だから、人を育てるのには時間がかかる。つまり、自分と同じ人間を作れるかどうかが企業発展の鍵だと言っているのです。
 子安氏は、従業員を前に「君たちは白衣を着たミッキーマウスだ」とよく語りかけるそうです。ミッキーは絶対にお客様を裏切らない。いつも同じ態度で迎えてくれる。同社の従業員にもこの姿勢が絶対に必要だと叩き込むのだと言います。
 それができなかったら、将来、会社の経営を任せられる人材など出てくるはずがない、ということなのです。同社には、子安氏が経営を任せられる人材が現在すでに5人いるそうです。
 子安氏は、世の中に同じ人間はひとりもいないので、ひとりひとりに違う教育をする必要がある。また、一人前になるまでの時間にも個人差があるが、本人のやる気さえ引き出させば、どんな人間でもいずれはできるようになる、と強調します。辞めてもらった従業員は一人もいないと語る子安氏の信念の強さを感じる言葉です。

「どんな大企業でも結局は人に戻る」と説いた子安氏の講演は、出席した学生たちの心に大きな感動を与えるものでした。
 講演後の懇親会でも、子安氏と学生の間で熱心な会話が交わされ、今年度第1回目の起業家塾は成功裏に終了しました。

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