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メキシコにも続々進出する自動車産業
タイの洪水被害の報道を見て、タイがアジアの自動車生産基地になっていることを知り、その実情に驚いた人は多いだろう。いま自動車の世界で、アジアにおけるタイと同じように、中南米で急速に存在感を増しているのがメキシコだ。
国際自動車工業連合会によると、2010年のメキシコの自動車生産台数は前年比5割増の234万台。スペインに次ぐ世界9位の規模で、タイの164万台を大きく上回る。生産した車の売り先の多くが米国だ。米市場で1〜10月に販売された新車のうち、日本からの輸入車は全体の11.1%、メキシコが10.7%を占め、日本と肩を並べるまでになった。
日本メーカーもメキシコでの生産に一層、力を入れている。日産自動車やホンダが生産能力の増強を計画し、マツダはグアナファト州に工場を新設する。円高に苦しむ日本の自動車メーカーにとって、メキシコはタイと並ぶ重要な生産拠点になりつつあるのだ。
リーマン・ショック後、大手金型企業も吸収合併に
今年10月。このメキシコの自動車産業を、群馬県の金型関係企業の集まりである群馬県金型工業会(太田市)が視察した。もちろん工業会に加盟する企業が視察を望んだわけだが、メキシコ自動車工業会側も多くの視察場所をセッティングするなど、工業会の一行を歓待した。
「メキシコでは自動車用のプレス金型企業の層が薄く、金型の多くは米国のデトロイトなどから輸入している。そのため、メキシコ側はなんとか技術の高い日本の金型会社に進出してもらいたい」(関係者)からだ。
群馬県の金型産業といえば、かつてはオギハラ(太田市)、宮津製作所(大泉町)という自動車用プレス金型の1位と3位の会社が存在した。だがリーマン・ショック後の自動車産業の落ち込みなどで両社の経営は悪化。オギハラはタイ企業に買収され、宮津も2位の富士テクニカに吸収される形で合併され、現在は静岡県清水町に本社を置く富士テクニカ宮津に姿を変えている。
この両社を除くと群馬の金型産業は中小規模の企業が多く、単独で海外進出するにはリスクが大きい。
ただ円高の定着で、自動車メーカーの下請けや孫請けに当たる金型企業は取引先からの受注減や、コスト削減要請の風にさらされている。国内だけにとどまっていれば、仕事は減るばかりだ。そのため工業会は協同組合など加盟各社が連携する形でのメキシコ進出を検討中だ。
地域が一体となった海外進出が加速する
今夏、米国やギリシャの財政危機をきっかけに、1ドル=70円台に突入した為替相場。財政・債務の危機はギリシャだけにとどまらずイタリアなど周辺国に波及し、さらに欧州の産業や消費を冷え込ませ、それがさらに円高要因につながる悪循環になっている。
そんな中で増えているのが、この群馬県金型工業会のように、地域の中小企業が集団で海外に進出しようとする動きだ。
富山県内で金型メーカーなどが集まる富山県金型協同組合(砺波市)は、インドネシアに工場を建設して集団で海外進出することを決めた。同組合の加盟社は、従業員20人以下の零細企業が多い。ジャカルタ近郊に工場を建て、自動車や家電の現地部品メーカーに金型を売り込む方針だ。
浜松市の中小企業10社は10月、東南アジアへの進出を目指す事業協同組合を設立した。自動車部品や繊維など幅広い業種が参加。インドネシアなどで情報を集め、工業団地へ共同進出することを検討する。
地元企業の流出阻止から一転、後押しする地方自治体
日本の製造業の海外進出は、これまでにいくつかのピークがあった。1985年のプラザ合意後、急速に円高が進んだとき。1ドル=79円95銭(1995年)を記録した90年代半ば。そして2008年のリーマン・ショックから現在まで続く局面。それぞれの局面で大手ばかりか中堅・中小企業の海外進出が進み、今は海外に出ていない企業は、相当規模の小さい会社だ。1社では海外での経営ノウハウや資金に限りがあるため、複数の企業が協力し合わないといけない――。これが「集団進出」の事例が増えている理由だ。
今回の動きで特徴的なのは、従来は地元企業の流出阻止に懸命だった自治体が、国内拠点の存続を条件に中小の海外進出を後押ししている点だ。
群馬県は県金型工業会のメキシコ視察に、国の「JAPANブランド育成支援事業」から資金面での支援を受けるための橋渡しをした上で、県職員を同行させた。
中小製造業の海外進出は、国内生産拠点の閉鎖や縮小、国内雇用の減少につながる危険性がある。ただ海外での需要を取り込まない限り、中小のものづくり企業の成長は見込めず、自治体にとっては税収増の絵を描きにくい。そのため自治体は国内拠点の存続を条件に、中小の海外展開を支援しているというわけだ。
中小企業の海外への集団進出と、それを後押しする自治体。どちらの動きも、日本のものづくりが追い込まれていることの証左なのかもしれない。
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【著者プロフィール】
1965年、埼玉県出身。1988年に大学卒業後、大手新聞社に就職。主に企業関係の取材
を担当。現在は経済関係部署のデスク。

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